鹿島アントラーズの守護神たち:曽ヶ端から沖、早川へ、継承されるGKの伝統
鹿島アントラーズといえば、誰もが知る日本サッカー界の象徴的強豪クラブです。
若手の台頭や世代交代も進みながら、常にタイトル争いを続ける。
そんな鹿島の強さを支えてきたのが、歴代ゴールキーパーたちの存在です。
Jリーグ初期を支えた古川昌明、高桑大二朗。
クラブの黄金期を築いた曽ヶ端準。
そして今、早川友基という新世代がゴールマウスを守っています。
この記事では、鹿島アントラーズの歴代GKを時代ごとに振り返りながら、クラブのゴールキーパーの系譜をたどっていきます。
それぞれの守護神がどんな特徴を持ち、どんな時代を築いたのか。GKファンならずとも楽しめる“鹿島のゴールキーパー史”をお届けしたいと思います。
鹿島アントラーズ 歴代正GKと成績一覧
鹿島アントラーズの1993年から2025年までのJ1リーグ成績・その他主要成績・正ゴールキーパー(正GK)の表を下記にまとめます。
チームの実績が圧巻ですね。中でも曽ヶ端選手のタイトル獲得数は目を見張るものがあります。
| シーズン | 成績(J1リーグ) | その他成績 | 正GK |
|---|---|---|---|
| 1993 | 2位 | 天皇杯準優勝 | 古川 昌明 |
| 1994 | 3位 | 古川 昌明 | |
| 1995 | 7位 | 古川 昌明、佐藤 洋平 | |
| 1996 | 優勝 | 古川 昌明、佐藤 洋平 | |
| 1997 | 2位 | ナビスコ杯優勝、天皇杯優勝 | 佐藤 洋平 |
| 1998 | 優勝 | 高桑 大二朗 | |
| 1999 | 9位 | ナビスコ杯準優勝 | 高桑 大二朗 |
| 2000 | 優勝 | ナビスコ杯優勝、天皇杯優勝 | 高桑 大二朗 |
| 2001 | 優勝 | 曽ヶ端 準 | |
| 2002 | 4位 | ナビスコ杯優勝、天皇杯準優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2003 | 5位 | ナビスコ杯準優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2004 | 6位 | 曽ヶ端 準 | |
| 2005 | 3位 | 曽ヶ端 準 | |
| 2006 | 6位 | ナビスコ杯準優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2007 | 優勝 | 天皇杯優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2008 | 優勝 | 曽ヶ端 準 | |
| 2009 | 優勝 | 曽ヶ端 準 | |
| 2010 | 4位 | 天皇杯優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2011 | 6位 | ナビスコ杯優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2012 | 11位 | ナビスコ杯優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2013 | 5位 | 曽ヶ端 準 | |
| 2014 | 3位 | 曽ヶ端 準 | |
| 2015 | 5位 | ナビスコ杯優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2016 | 優勝 | 天皇杯優勝、CWC準優勝 | 曽ヶ端 準 |
| 2017 | 2位 | 曽ヶ端 準、クォン・スンテ | |
| 2018 | 3位 | ACL優勝 | クォン・スンテ |
| 2019 | 3位 | 天皇杯準優勝 | クォン・スンテ |
| 2020 | 5位 | 沖 悠哉 | |
| 2021 | 4位 | 沖 悠哉 | |
| 2022 | 4位 | クォン・スンテ | |
| 2023 | 5位 | 早川 友基 | |
| 2024 | 5位 | 早川 友基 | |
| 2025 | 早川 友基 |
鹿島アントラーズの守護神たち:曽ヶ端から沖、早川へ、継承されるGKの伝統
鹿島アントラーズは、創設期から「献身」「誠実」「尊重」と表される「スピリット・オブ・ジーコ」をクラブ哲学の中心に据えてきました。
30年間に渡り、勝ち続けていたチームの最後方には、常に頼れる守護神の存在があります。
古川昌明、高桑大二朗がJリーグ初期を支え、曽ヶ端準が黄金期を築き、
そして現在は早川友基が次代を担います。
この記事では、鹿島の歴代ゴールキーパーたちを一覧とプロフィール付きで紹介し、
それぞれの時代がどんな守備文化を育んできたのかを紐解きます。
| 時代 | 主なGK | 在籍期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1990年代 | 古川昌明 / 高桑大二朗 | 1992〜1998 | Jリーグ初期を支える |
| 2000〜2010年代 | 曽ヶ端準/クォン・スンテ | 1998〜2020 | 鹿島の象徴・タイトル量産期 |
| 2020年代 | 沖悠哉 / 早川友基 | 2019〜現在 | 若手台頭・新世代守護神 |
曽ヶ端準の時代:鹿島黄金期を支えた守護神
鹿島の黄金期を象徴する守護神、曽ヶ端準。
1998年にトップ昇格して以来、20年以上もの間ゴールマウスを守り抜き、クラブの歴史そのものを体現した男です。
- 名前:曽ヶ端 準(Hitoshi Sogahata)
- 国籍:日本
- 所属チーム:引退(鹿島アントラーズ)
- 誕生日:1979年8月2日
- 身長 / 体重:187cm / 80kg
- 代表歴:日本代表(2001年~2003年)
J1通算533試合出場、リーグ優勝8回、ACL制覇1回(2018年)。
彼のプレースタイルは派手さよりも「安定感」と「勝負強さ」。
そのシュートストップには、難しいセーブを難しく見せない、美しさがあったように思います。
味方が安心して前線に出られる守備が、鹿島の“勝ち切るサッカー”を完成させました。
また、愛用していたのはウールシュポルトのキーパーグローブ。
ゴールキーパー用品の専業メーカーとして70年以上の歴史を持つドイツのブランドで、初心者用からトッププロ向けまで幅広いラインナップが特徴です。
曽ヶ端選手の獲得タイトル
- J1リーグ優勝 8回
- 天皇杯 5回
- Jリーグカップ 6回
- AFCチャンピオンズリーグ 1回(2018年)
曽ヶ端選手のクラブでのキャリア
鹿島一筋23年!!そのキャリアを簡単に紹介します!!
1998年:鹿島アントラーズにアカデミーから昇格
- 同期:小笠原満男、中田浩二、本山雅志、山口武士、中村祥朗
2001年:高桑大二朗に代わり正GKに定着
- 以降長期間にわたり鹿島の守護神として君臨
2012年:クラブ記録を次々更新
- 3/31:クラブ公式戦最多出場(475試合)
- 8/18:リーグ戦最多出場(360試合)
- 8/25:クラブ公式戦500試合に到達
2013年7月:国内3大大会(リーグ・カップ・天皇杯)通算500試合を達成
2014年4月:リーグ戦217試合連続出場を達成
- 土肥洋一の記録を更新し歴代1位に
2015年:連続フルタイム出場244試合でストップ
- 「記録のためにプレーしているわけではない」と冷静にコメント
- ミスや負傷で一時ポジションを譲るが、監督交代後にレギュラー復帰
2016年:クラブ史上最長在籍(19シーズン)を記録
- FIFAクラブワールドカップ決勝進出に守護神として貢献
2017年:クォン・スンテ加入で序盤は控え
- しかしシーズン後半にレギュラー奪取
- J1通算500試合を達成
2018年:過密日程の中でローテーション起用される
- 大岩剛監督から「頼りになる」と評価
- ACL優勝をベンチ入りで経験
2019年:スンテが完全に正GKとなり、リーグ戦4試合出場に減少
2020年:若手・沖悠哉の台頭で第3GKに
- リーグ戦1試合のみ
- 12月24日に現役引退を発表、23年の現役生活に幕
曽ヶ端選手の引退後のキャリアと現在
- 2020年シーズン限りで現役引退
- 引退後は鹿島アントラーズでGKコーチとして後進の指導に従事
- 鹿島ユース出身GKや若手GKの育成に力を注ぎ、クラブのGK文化を次世代に継承しています
曽ヶ端選手の有名なセーブ
- 2011 ACLグループステージ 対上海申花戦
- 勝てば鹿島がグループステージ突破に大きく近づく大一番でスーパーセーブ連発!
クォン・スンテ:国際舞台を経験した韓国の守護神
ACL優勝を支えた韓国代表GK、クォン・スンテも忘れてはならない存在です。
2017年の加入以降、豊富な経験で、ときに激しく、ときに冷静に鹿島の守備を引き締めました。
ライバルの曽ヶ端選手も、
「僕が36、37の歳の2017年に来てから、僕自身もう1度レギュラーを取り返そうとか、負けたくないという気持ちを強く持ちました。そこで自分自身ももう1回モチベーションであったり、自分自身の成長を感じられる日々だったので、その辺りのライバルというか、そういった選手がいた、30代後半で出会えたことは幸せですし、出会えなければここまでやれなかったと思います」
https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=388052
と語っています。
クォン・スンテのプロフィール
- 名前:クォン・スンテ(Kwon Sun-tae)
- 国籍:韓国
- 所属チーム:引退(全北現代モータース→尚州尚武→全北現代モータース→鹿島アントラーズ)
- 誕生日:1984年9月11日
- 身長/体重:184cm / 85kg
- 代表歴:韓国代表(2012年~2017年)
クォン・スンテのクラブでのキャリア
- 2017年1月に鹿島アントラーズへ完全移籍
- 鹿島初の「外国籍GK」として注目を集めた
- 2017年第2節・甲府戦でPKストップを含む完封勝利
- 開幕から曽ヶ端準のポジションを奪いレギュラーに
- 2017年7月:柏戦で負傷(左母指MP関節脱臼)
- 離脱中に曽ヶ端が復調し、レギュラーを失う
- この年のリーグ出場は12試合
- 2018年:レギュラー復帰
- ACL準決勝・水原三星戦での気迫のプレーが話題に
- 内田篤人の逆転弾につながる“スイッチを入れた”シーンとして語り継がれる
- 鹿島初のACL優勝に大きく貢献
- ※ACL3度優勝の偉業(全北で2回+鹿島で1回)
- 2020年:沖悠哉の台頭で第2GKへ降格
- この年の出場は7試合のみで、加入後最少
- 2021年:ルヴァン杯で9ヶ月ぶりの実戦復帰
- カップ戦を中心に出場し、福岡戦では好守で勝利に貢献
- シーズン終盤はリーグ4試合連続無失点を記録し存在感を示す
- 2022年:シーズン序盤はレギュラー
- しかし岩政大樹監督の就任後、早川友基を正GKに抜擢
- 出場機会が減少
- 2023年:怪我の影響もあり公式戦出場ゼロ
- 11月30日に現役引退を発表
- 最終節で交代出場を打診されるも、早川友基の“全試合フル出場”を守るため辞退
- 「18年間のキャリアへの誇り」と「後輩への敬意」が伝わる振る舞いとして称賛された
クォン・スンテの引退後のキャリアと現在
2024年は鹿島アントラーズのアシスタントGKコーチとして後進の指導にあたりましたが、退団しています。
鹿島初期を支えたベテランGKたち:古川昌明・高桑大二朗
1990年代、鹿島アントラーズの礎を築いたのがこの二人。
チーム創設期、Jリーグやナビスコ杯で活躍し、Jリーグ黎明期の守備を確立させました。
古川昌明のプロフィール
- 名前:古川 昌明(Masaaki Furukawa)
- 国籍:日本
- 所属チーム:引退(本田技研 → サンパウロFC → 鹿島アントラーズ → アビスパ福岡)
- 誕生日:1968年8月28日
- 身長 / 体重:180cm/72kg
- 代表歴:日本代表(1993年)
古川昌明のクラブでのキャリア
- 本田技研工業を退職し、プロ入りを目指して1991年6月にブラジルへ渡航。
- 無名クラブ、や名門サンパウロFCでの練習参加を経て、帰国し 鹿島アントラーズのテストを受け1992年途中に鹿島へ加入
- 1993年:Jリーグ開幕年に38試合すべてにフル出場。1stステージ優勝、チャンピオンシップ2試合にも出場
- 翌年以降は負傷で離脱する時期が続くが佐藤洋平とポジションを競いながらチームに貢献
1993年のチャンピオンズリーグ第1戦でのPKストップを含む活躍は衝撃的でした!!
古川昌明の引退後のキャリアと現在
- 引退後はブラジルに渡り、コリンチャンスやCFZジュニオールチームでGKコーチを務める。
- 2003年に川崎フロンターレのGKコーチに就任。
- 2012年から鹿島アントラーズのGKコーチを務め、選手育成に貢献。
- 2019年からいわきFCのGKコーチを務める
- 現在は、2023年から清水エスパルスでGKコーチとして活躍中
高桑大二朗のプロフィール
- 名前:高桑 大二朗(Daijiro Takakuwa)
- 国籍:日本
- 所属チーム:引退(横浜F・マリノス→鹿島アントラーズ→東京ヴェルディ1969→ベガルタ仙台→横浜F・マリノス→徳島ヴォルティス)
- 誕生日:1973年8月10日
- 身長 / 体重:190cm / 82kg
- 代表歴:日本代表(2000年)
高桑大二朗のクラブでのキャリア
- 横浜F・マリノスでプロデビューし、鹿島アントラーズでは正GKとして活躍。
- 2000年には鹿島アントラーズで三冠(Jリーグ、天皇杯、Jリーグカップ)を達成し、Jリーグベストイレブンに選出された。
- その後、東京ヴェルディ1969、ベガルタ仙台、徳島ヴォルティスでもプレーし、多くの試合で安定したパフォーマンスを発揮。
高桑大二朗の引退後のキャリアと現在
- 2010年:横浜F・マリノス下部組織 GKコーチに就任
- 追浜ジュニアユースおよびプライマリーを担当
- 同年から東日本放送(KHB)でベガルタ仙台戦の中継解説も開始
- 2022年:川崎フロンターレ GKコーチに就任
- 2024年3月:エリース東京FC アドバイザー兼GKコーチに就任
- 2024年4月、自身が代表を務める
「アグラレス サッカーアカデミー」(新百合ヶ丘・新横浜)を開校
- 2024年4月、自身が代表を務める
- 2025年1月から現在はFC東京 GKプロジェクトリーダーとして活躍中
新世代の鹿島GK:沖悠哉と早川友基
沖悠哉:安定感と広い守備範囲を誇るGK
鹿島ユース出身で、2019年にトップ昇格。
足元の技術に優れ、ディフェンスラインの裏をカバーする範囲が広いのが特徴です。
冷静な判断力でビルドアップにも積極的に関与するタイプの現代型GKです!
沖悠哉のプロフィール
- 名前:沖 悠哉(Yuya Oki)
- 国籍:日本
- 所属チーム:清水エスパルス(鹿島アントラーズ→)
- 誕生日:1999年8月22日
- 身長 / 体重:186cm / 83kg
- 代表歴:ー
沖悠哉のクラブでのキャリア
- 2018年
- 鹿島アントラーズユースからトップチームへ昇格。
- 2020年
- 8月8日のJ1第9節・サガン鳥栖戦で J1デビュー。
- デビュー戦で無失点の好守を見せ、その後レギュラーのクォン・スンテからポジションを奪い、正GKとして24試合に出場。
- 2021年
- 開幕スタメンとして起用され、ルヴァン杯では豊田陽平のPKをストップするビッグセーブも披露。
- しかしシーズン終盤には再びスンテにポジションを譲る。
- 2022年
- シーズン序盤からスンテの控えに回り、さらに終盤には早川友基が台頭。
- 出場は2試合にとどまる。
- 2023年
- 早川がリーグ戦全試合フル出場したため、沖選手は リーグ戦の出場なし。12月には清水エスパルスへの移籍が発表されました。
沖悠哉のキーパーグローブ
Embed from Getty Images2024年から清水エスパルスで活躍する沖選手が使用するのはウールシュポルトというメーカーのキーパーグローブです。
Uhlsport Prediction / ウールシュポルト プレディクション

早川友基:鹿島アントラーズを支える“新時代の守護神”
そして現在鹿島アントラーズのゴールを守るのは、日本代表のGKでもある早川友基です。
早川選手は、安定感・シュートストップ能力・ビルドアップ力の三拍子を兼ね備えた、日本でもトップクラスの若手ゴールキーパーです。鹿島アントラーズの守護神として急成長を遂げ、2023年以降はリーグ屈指の鉄壁GKとして注目を集めています。
早川友基のプロフィール
- 名前:早川 友基(Tomoki Hayakawa)
- 国籍:日本
- 所属チーム:鹿島アントラーズ
- 誕生日:1999年3月3日
- 身長 / 体重:187cm / 80kg
- 代表歴:日本代表(2025年~)
早川友基のクラブでのプロフィール
- 2021年
- 6月16日の天皇杯2回戦・Y.S.C.C.横浜戦で 公式戦デビュー。
- 2022年
- 9月16日のJ1第30節・サガン鳥栖戦で J1初先発。クォン・スンテ、沖悠哉らを抑えて先発に抜擢されると、以降はレギュラーに定着し、シーズン終了までゴールマウスを守り続ける。
- 2023年
- ついに鹿島の 正GKとして全試合フル出場。安定したパフォーマンスでチームを支えた。
- 2024年
- 引退したスンテから 背番号1を継承。2年連続となるリーグ戦 全試合フル出場を達成し、名実ともにクラブの守護神として存在感を示す。
- 2025年
- 選手会長に就任。リーダーシップも評価され、チームの中心的存在としてフル出場中。
2025年には日本代表にも選出され、7月の中国戦でデビュー!以降連続無失点を記録し、数少ないチャンスの中で日本代表でも存在感を示しています。
早川友基のキーパーグローブ
早川選手が使用するのは、プーマのフューチャーというキーパーグローブです
PUMA Future / プーマ フューチャー(ハイエンドモデル)

まとめ
鹿島アントラーズのゴールキーパー陣は、曽ヶ端準のようにクラブの歴史を支え続けた守護神から、沖悠哉・早川友基といった新世代のGKまで、常に高い競争力と伝統を受け継いできました。経験・実績・将来性のあるGKがバランスよく揃っているのが、鹿島のGK陣の最大の強みです。
それぞれが異なる強みを持ちながら、厳しいレギュラー争いの中で成長し、クラブの勝利に貢献してきました。長く日本サッカーを支えてきた鹿島アントラーズの「最後の砦」は、これからも新旧の力が融合し、さらにレベルアップしていくことでしょう。






