ここ30年で大きな発展を遂げてきた日本代表のサッカー。その裏には常に素晴らしいゴールキーパーの存在がありました。本記事では、日本サッカーのゴールキーパーの歴史を振り返ります。
日本代表の歴代ゴールキーパー
本サイト独自の日本代表のゴールキーパーの年表を作成しました。この年表を共に、各時代を振り返ります。

日本代表GK松永成立時代(~1993年)
ドーハの悲劇の主役の一人、松永成立
「ドーハの悲劇」を知っていますか?
93年のワールドカップアジア予選の最終戦、イラク戦で勝てば日本のワールドカップ初出場が決まる試合で、2-1でリードして迎えた後半ロスタイムに同点ゴールを奪われ、あと数秒のところでワールドカップ出場を逃した、日本サッカーにおける伝説の1つです。
その主役の一人が松永成立選手です。
松永選手は、当時としては珍しい守備範囲の広い攻撃的なプレースタイルで一世を風靡し、1987年に代表初招集されると、1992年のオフト監督就任時には正GKの座を確固たるものにしました。
1993年のワールドカップアジア最終予選の韓国戦で見せた左足セーブが記憶に残っています。
しかし、最終予選最終節のイラク戦、ワールドカップ出場までロスタイムを残すのみという時間帯でまさかの同点ゴール。相手選手の放ったヘディングシュートは、まるでスローモーションのように日本のゴールに吸い込まれ、松永はそれを見送ることしかできませんでした。
松永成立の主な国際試合出場歴
- 1989年 – FIFAワールドカップ・イタリア大会予選 敗退
- 1992年 – ダイナスティカップ優勝
- 1992年 – AFCアジアカップ1992 優勝
- 1993年 – FIFAワールドカップ・アメリカ大会予選 敗退
国際Aマッチ 40試合出場
松永成立の現在
松永さんは現在、横浜Fマリノスのゴールキーパーコーチを務めています。またご本人は書籍も出版されています。
また、Jドリーム飛翔編の第5巻には、「松永成立物語」が収録されています。プロ入り直後の苦悩や、ドーハの悲劇の頃がドラマチックに描かれています。
「Jドリーム」や「オフサイド」を手掛ける塀内夏子先生の描くサッカー漫画は、ゴールキーパーが非常に魅力的に描かれていて大好きです。
ライバルだったのは森下申一選手。1987年に松永が代表に初選出されてから、当時の正GKだった森下から正GKの座を徐々に奪っていった形でした。
森下申一の主な国際試合出場歴
1986年に代表に初招集され、その年のワールドカップ予選に参戦。そこから徐々に当時の正GK、松井清隆からその座を奪うことになります。
- 1986年 – FIFAワールドカップ・メキシコ大会予選 敗退
国際Aマッチ 28試合出場
一方松永の影でなかなか試合に出られなかったが、日本代表を支えたのが前川和也選手でした。
前川和也の主な国際試合出場歴
1992年のアジアカップの中国戦では、スタメンの松永が退場し代わりに急遽出場することになりました!ミスはあったものの代役をしっかり務め、アジアカップ優勝に貢献しています!
- 1986年 – FIFAワールドカップ・メキシコ大会予選 敗退
- 1992年 – AFCアジアカップ1992 優勝
国際Aマッチ 17試合出場
GK戦国時代(1993年~1997年)
ドーハの悲劇後、オフト監督が辞任し、ファルカン新監督が誕生しました。ここから3年間ほどの間、日本代表は正GKが不在な状況が続きます。
この期間に出場したゴールキーパーは実に6人。松永、前川に加えて、菊池、本並、下川、小島の4選手が日本代表のスタメンに抜擢されています。
日本代表GK 川口能活・楢崎正剛の時代(1997年~2010年)
川口能活。楢崎正剛。2人のゴールキーパーが4回ものワールドカップに渡って、実に10年以上ライバルとして激しい正GK争いを繰り広げた時代です。
二人の実力は完全に拮抗し、どちらが正GKに選ばれるかは監督の戦術や志向次第。
一方で、片方が怪我をしようものなら、片方が正GKの座を奪われる。日本代表の試合や合宿では一瞬たりとも気が抜けないような痺れる争いを、10年間も続けていたのです。世界的にみても、ここまで激しい正GK争いはなかったのではないでしょうか。
川口能活の主な国際試合出場歴
- 1996年 – アトランタオリンピック
- 1998年 – FIFAワールドカップ・フランス大会
- 1999年 – コパ・アメリカ (1次リーグ敗退、3試合中1試合出場)
- 2000年 – AFCアジアカップ2000 : 優勝
- 2001年 – FIFAコンフェデレーションズカップ2001 : 準優勝
- 2004年 – AFCアジアカップ2004 : 優勝
- 2005年 – FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 – FIFAワールドカップ・ドイツ大会
- 2007年 – AFCアジアカップ2007 : 4位
川口能活の著書
間違いなく僕のバイブルです。川口能活が、そのサッカー人生の中でいかにチャレンジして、逆境を乗り越えてきたのかが語られています。日々の生活でなんとなく行き詰ったと感じたときも、もちろんそうでないときにも是非。
楢崎正剛の主な国際試合出場歴
- 1999年 コパ・アメリカ (1次リーグ敗退、3試合中2試合出場)
- 2000年 シドニーオリンピック (オーバーエイジ枠で全試合出場)
- 2002年 FIFAワールドカップ・日韓大会
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ
- 2003年 東アジアサッカー選手権
楢崎正剛の著書
ゴールキーパーはミスが許されないポジション。日本でも最高峰の場所でプレーをしてきた楢崎が、そのプレッシャーとどう向き合ってきたのか。非常に参考になる書籍です!
加茂監督がアトランタ五輪で活躍した20歳のGKを日本代表正GKに大抜擢!
マイアミの奇跡。
1996年のアトランタ五輪で、日本代表がブラジル代表を破り、世界を驚かせた試合です。その中心にいたのがGKの川口能活。アトランタ五輪での実績を買われ、当時の日本代表監督であった加茂監督が日本代表の若き守護神として川口能活を大抜擢!
当時日本代表はワールドカップに出場した経験がありませんでした。日本代表は全力でワールドカップ出場権を獲得するため、Jリーグが協力します。1997年の9月~11月の間、日本代表選手はJリーグへの参加を免除され、3か月間、ワールドカップ予選に集中する環境が用意されました。
すごい話ですが、これはこれで結果が求められる非常に厳しい環境ですよね。その全9試合でゴールを任されたのが川口能活でした。監督の解任やサポーターとの対立など、様々なドラマがあった中、厳しい予選を勝ち抜き、ギリギリでワールドカップ出場を決めました!
日本代表の初めてのワールドカップは川口能活
楢崎正剛のデビューはワールドカップイヤーの1998年の2月。テストマッチのオーストラリア戦でした。この瞬間から10年も続く、川口楢崎のチームの始まりです。
日本が初めて出場したフランスワールドカップに出場したのは川口能活でした。初戦のアルゼンチン戦では23本のシュートを浴びながらも好セーブを連発。最小限の失点に抑える活躍でした。しかし、初出場は3戦全敗。日本代表の、川口能活の世界への挑戦はホロ苦いものになりました。
初めての自国開催を任されたトルシエ監督は楢崎を重用
フランスワールドカップが終わり、次の挑戦は自国開催の日韓ワールドカップです。
それまでの貴重な4年間を任されたのはフィリップ・トルシエ監督でした。監督就任直後、楢崎を正GKとして指名し川口のA代表での出場機会は急速に減っていきます。
また、トルシエ監督が監督を兼任した2000年のシドニー五輪でもオーバーエイジ枠で参戦。チームは決勝トーナメント進出しますが。しかしアクシデントが。準々決勝のアメリカ戦で味方選手と衝突し顔面を骨折してしまいます。楢崎は流血しながらもゴールを守りますが、チームはPK戦の末敗れます。
楢崎の怪我により、トルシエ監督のもとで川口能活が出番を得ます。2000年のアジアカップ、2001年のコンフェデレーションズカップで好プレーを連発します。
これで川口能活が正GKをつかんだかに見えましたが、最終的に2002年の日韓ワールドカップの舞台に立ったのは楢崎正剛でした。川口が移籍先で出場機会が限られていたこと、そして大会直前に怪我をしてしまったことも原因でしょう。
日韓ワールドカップに出場した楢崎は、全4試合に出場し、日本代表史上ワールドカップでの初勝ち点、初勝利、初完封勝利、初の決勝トーナメント進出に貢献しました。
ドイツワールドカップは再び川口能活がゴールを守る
日韓ワールドカップ後、ジーコ監督が就任してからも正GKは楢崎のものでした。ワールドカップ予選などを通じ、当時の記録である7試合連続無失点も記録しました。
一方川口は、海外の所属先クラブでの出場機会をなかなか勝ち取ることができず、代表からも遠ざかっていました。
そんな中風向きが変わったのが2004年のアジアカップ。2004年のアジアカップでゴールを任されたのは川口能活でした。今でも伝説となっているヨルダン戦のPK戦での4連続セーブの大会です。
2005年にはJリーグにも復帰し出場機会も十分に得られるようになり、次第にジーコ監督のもとで正GKとして出場機械が増えていきます。コンフェデ2005年でも正GKとして活躍します。
そして2006年のワールドカップで、最終的に試合に出場したのは川口能活でした。結果は予選リーグ敗退。しかし、2戦目ではクロアチア相手にPKを阻止し、0-0のドローに貢献。自国開催以外でのワールドカップで、初めての勝ち点を獲得します。また予選リーグ突破をかけた3戦目のブラジル戦では神懸かり的なセーブを連発し世界を驚かせました。
川口楢崎時代の4回目のワールドカップは楢崎かと思われたが。。
ドイツワールドカップ終了後、オシム監督のもとでは、川口がキャプテンを任され、ほぼ全ての試合で川口が先発します。アジアカップでは優勝こそ逃すものの活躍。
しかし2009年頃から、川口は大きな怪我に悩まされます。1月には代表合宿中に右ふくらはぎを負傷。さらに9月にはJリーグの試合中に右脛骨骨幹部骨折の重傷。川口能活の2010年のワールドカップ出場は絶望的となりました。
南アフリカワールドカップのメンバー発表直前まで、怪我の影響でJリーグ出場のなかった川口でしたが、岡田監督がチームのキャプテンとして川口をサプライズ選出!
時代は川口楢崎時代。川口はあくまでチームのまとめ役としての選出でしたので、ゴールを守るのは、楢崎だと当然のように思っていました。
しかし、実はこれこそが新しい時代の幕開けでした。
日本代表GK 川島永嗣の時代(2010年~2018年)
川島永嗣は、3大会連続でワールドカップ出場を果たし、欧州5大リーグでプレーしたことのある唯一の日本人ゴールキーパーです。海外で最も実績を残している川島永嗣の時代の幕開けです。
川島永嗣の主な国際試合出場歴
- 2008年 – 東アジアサッカー選手権2008(準優勝)
- 2010年 – FIFAワールドカップ 南アフリカ大会
- 2011年 – AFCアジアカップ2011:優勝
- 2013年 – FIFAコンフェデレーションズカップ2013
- 2014年 – 2014 FIFAワールドカップ ブラジル大会
- 2015年 – AFCアジアカップ2015
- 2018年 – FIFAワールドカップ ロシア大会
- 2019年 – コパ・アメリカ2019
直前のテストマッチで結果を残し南アフリカワールドカップに川島が出場!
2010年の南アフリカワールドカップ。正GKとして全4試合に出場したのは川島永嗣でした。
直前のテストマッチ、イングランド戦ではPKストップを含む好プレーを連発。その結果が評価され、ワールドカップ本大会には川島永嗣が出場しました。南アフリカワールドカップには経験豊富な楢崎正剛が出場すると思ってた方も多かったのではないでしょうか。
グループリーグでは3試合に出場し、わずかに2失点。
決勝トーナメントのパラグアイ戦も120分間無失点に抑えるが、PK戦の末残念ながら敗退という結果でした。
2大会ぶりアジアカップ制覇に貢献!
ワールドカップ終了後、ザッケローニ監督が就任してからも川島の時代は続きます。2011年のアジアカップでは正GKとして出場し、活躍の末、2大会ぶりのアジアカップ制覇に導きます!特にオーストラリア戦のセーブは印象的です。
以下の動画はアジアカップだけではありませんが、アジアカップ2021でのセーブが多く入っています!
2014年のワールドカップで2大会連続スタメン出場!
1998年のワールドカップ初出場以降、日本代表のゴールキーパーには1つのジンクスがあったんです。
「背番号1番をつけていると本大会に出場できない」
- 1998年 正GK:川口能活 20番 (1番は小島)
- 2002年 正GK:楢崎正剛 12番 (1番は川口)
- 2006年 正GK:川口能活 23番 (1番は楢崎)
- 2010年 正GK:川島永嗣 21番 (1番は楢崎)
そんなジンクスを初めて破ったのが5大会目の出場となった2014年の川島でした。川島は史上初めて背番号1番としてワールドカップのピッチに立ちました。
川島は安定したプレーで予選リーグ全試合に出場しますが、日本代表は1勝もあげられず敗退することになります。
西川周作がレギュラーに定着しワールドカップ予選を戦った2014~2016年
2014年のワールドカップ終了後、ハリルホジッチ監督が就任すると、次第に日本のゴールを西川周作が守るようになります。
浦和レッズでの活躍が認められたというのももちろんなのですが、この頃川島はベルギーリーグのスタンダール・リエージュでの出番がなく、退団後も半年間もの間、所属先が見つからない状況でした。
リーグ戦で定期的に出場する機会がない以上、日本代表での実績が豊富な選手といえども日本代表には招集されるのは難しい。
西川周作の主な国際試合出場歴
- 2011年 – AFCアジアカップ2011:優勝
- 2013年 – EAFF東アジアカップ
2018年のロシアワールドカップは川島が3大会連続出場の快挙!
半年もの間所属先のなかった川島ですが、2015年にスコットランドのダンディー・ユナイテッドと契約すると、2016年には再び代表に招集されるようなります。
ワールドカップ予選も再び任されるようになり、2015年のアジアカップでも川島が正GKとして出場します。
そして2018年、川島はロシアワールドカップに招集され、3度目のワールドカップ出場を果たします。予選リーグを見事に突破し、決勝トーナメントでは、優勝候補のベルギーと熱戦を繰り広げますが惜しくも2-3で敗れます。
2018年のワールドカップにおける川島へのバッシングはひどいものでした。私見ですが、今大会で川島のミスといえばセネガル戦のパンチングミスくらいで、それ以外はゴールキーパーとしてはノーチャンスの失点ばかり。それ以上に好セーブによる貢献の方が大きかったと思っています。
川島永嗣の著書
川島選手は、英語の勉強法や、勉強するためのモチベーションの保ち方などが記された書籍を出版されています。
海外移籍を志すサッカー選手でなくとも、非常に勉強になる本です。
余談ですが、Kindle unlimitedであれば、この川島の本も読み放題で、とても重宝しています!
Amazonで売っている全ての本が対象というわけではありませんのでご注意ください。
川島永嗣のキーパーグローブ
川島選手が使用しているキーパーグローブは、pumaのultragripというキーパーグローブです!ゴールキーパーをやっている方はぜひ同じグローブを身に着けてプレーしたいですよね。
amazonにて購入可能です。
日本代表GK 権田修一の時代 (2019年~)
長かった川島永嗣の時代から主役の座は遅咲きの守護神ともいえる権田修一に移っていきます。
権田修一は、初招集の2009年から正GKへの定着まで10年近くの月日がかかりました。
2018年ワールドカップ終了後、森保ジャパンが発足しました。2019年のアジアカップでは3年ぶりに権田が招集され、正GKとして活躍します。
この大会をきっかけに日本代表の守護神として不動の地位を築くことになったように思います。その後2022年カタールワールドカップ予選でも正GKとして活躍し、見事にワールドカップ出場に貢献しています。
特にワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦のセーブは相当にレベルの高いものでしたよね。
ワールドカップ本大会でも正GKとして大活躍!決勝トーナメント進出がかなり困難とされる厳しいリーグの中で、ドイツ、スペインを見事に倒してのベスト16進出に見事に貢献して見せました。現状ここが日本代表のワールドカップにおける最高到達点といえるでしょう。
権田修一の主な国際試合出場歴
- 2019年 – AFCアジアカップ2019:準優勝
- 2022年 – FIFAワールドカップ カタール大会
権田修一の著書
権田選手が監修し、自らもプレーのお手本画像として出演している書籍が「サッカーGKの教科書」です。ゴールキーパーをやっている方であればバイブルとなりうる一冊です。
権田修一のキーパーグローブ
Embed from Getty Images権田選手がFIFAワールドカップ2022カタール大会で使用していたキーパーグローブはuhlsportのスピードコンタクトというグローブでした。
練習中には色違いのグローブを使用している姿も捉えました!
2023年に入り権田選手は心機一転グローブも変更!uhlsportからreusch(ロイシュと読みます!)にキーパーグローブを変更しています。
清水エスパルスの公式のプロフィール写真でも、ロイシュのアローという矢印のロゴが特徴的なグローブを身に着けて撮影しています。このアローゴールドXというモデルは、インテルのハンダノヴィッチがプロデュースするモデルです。
権田選手が使用してきた歴代のキーパーグローブに関しては以下もぜひご参照ください!
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日本代表ゴールキーパー出場試合数ランキング
ここまでここ30年間の日本代表GKの歴史を振り返ってきました。
1992年以降、日本代表の正GKと呼べる活躍をしたのは、松永成立、川口能活、楢崎正剛、川島永嗣、権田修一の5名でした。
その5人のゴールキーパーを含む、日本代表ゴールキーパーの出場試合数ランキングを見てみましょう。
1位は川口能活の116試合で圧倒的。2位はワールドカップ3大会連続出場の川島永嗣の95試合です。
2022年のカタールワールドカップ出場が有力視される権田は現在は33試合。
本ランキング中で、現役選手なのは、川島、権田、西川の3名。この記録をどこまで伸ばすことになるのか。今後の活躍に注目です!
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