※本コラムは昔運営していた川口能活ファンサイト(深海)で掲載していたコラムを再掲したものです。一部内容が古い可能性がありますがご了承ください。
GKはミスの許されないポジションであると言われる。GKはチームのゴールを守る最後の砦であり、GKの失点は即失点につながる場合がほとんどである。サッカーが点を取り合うスポーツである以上、GKのミスはときにチームの負けを決定づけてしまうからである。「FWは10本シュートを外しても最後に1点決めればそれでヒーローになれる。しかしGKは10本スーパーセーブをしても最後にミスをして1点決められて負けてしまったら意味がない」としばしば言われるのもそういった理由からである。
ミスをすればその信用を取り返すのに途方もない時間がかかってしまう。日本代表GKの楢崎選手は、シドニー五輪などでトルシエ監督の絶大の信頼を勝ち取りながらも、2001年3月のフランス戦で、チームの士気を下げ、大敗の要因のひとつになってしまったキャッチミスをして以来、約1年間、日本代表のゴール前に立つことはなかった。それだけGKにとってミスというものは怖いものである。
GKに必要な要素の大きなひとつに「ミスとのつきあい方」がある。GKはミスをしないために、キャッチやキック、ハイボールの処理、セービングなどあらゆる基本的な技術を気の遠くなるほど反復練習し、体に覚えこませる。しかし、GKも人間、完璧ということはありえない。ただできるのは、極限までミスを少なくすることだけで、試合中にミスをすることは避けられない。しかし本当に大切なのは、ミスをしてから。たとえミスをして1点を失っても、2点を取り返せば勝てる。むしろそっちの方がドラマチック。それをミスをずるずるとひきずって、2点、3点と失点を重ねるとそれこそ試合は絶望的になってしまう。海外のキーパーが失点をしたあとにDFを怒鳴り散らすのは良くある光景だ。明らかにGKのミスで失点をした場合でさえ、とにかくGKはDFにキレる。理不尽極まりないと誰もが感じると思う。これは日本人のGKにはなかなかもつことのできないメンタリティーである。しかし、ミスをして小さくなっているようなGKは、試合の残り時間で良いプレーをすることはできない。そこが日本人の弱さである気もする。川口はJリーグの2000年のシーズンで自分の一番良いプレーができた時間帯は鹿島とのチャンピオンシップ2戦目の後半だという。そう、川口がA級戦犯となってしまうミスを犯してしまった、悪夢の夜の後半である。その理由は、大きなミスのあとでも普通通りのプレーができたからだという。この試合の後半マリノスは失点をしなかった。
川口は昨年12月のグリムズビー戦(川口のハイボール処理ミスで2点を失い1-4で負け)の試合後、あの失点が自分のミスであることを試合後のインタビューで認めた。そして、この試合以来、川口は1部リーグでの試合に出場していない。それまで川口を拍手で迎えていたサポーターも手のひらを返したように「日本へ帰れ」と川口をののしった。試合に出れなかった理由はフロントの事情や怪我などもあるのだが、川口が自分のミスを認めてしまったことも原因の一つ。海外のプロは自分のミスを決して認めようとはしないらしい。これは、先生がたとえ自分が頭が悪くても、それを生徒に悟られてはいけないことと似ている。生徒は先生を全面的に信頼している。もし、その先生が単なるバカだと知ったら、その生徒はバカに教えられても仕方ない、とやる気をなくしてしまうに違いない。サポーターに取って試合に出る選手はスターでなければならず、常に最高のプレーを見せてくれる存在でなければいけないのだ。
しかし、人間はミスをすることによって学習し、成長する生き物である。小さい頃に、家の中を走って、壁に小指をぶつけて、痛い思いをして。痛い思いをしたくないから、これからは走らないようにした方がいいんだ、と学習する。自分が犯してしまったミスを認めて、それを改めていくことで、人は成長するのだ。川口が自分のミスをインタビューの中で認めることは、とても勇気が必要だったと思う。他のイギリス人の選手がやるように、自分のミスについては触れなければ良かったのかも知れない。しかし、全ての選手が、ミスを押し付けあっていては、何も良くならない。チームとして、何が悪かったのかが分からなければ、何も改善されなくて、ミスはただのミス、負けがただの負けになってしまい次の勝利につながらない意味のないものになってしまうのだ。川口はあえてファンの前でミスを認め、ミスを意味のあるものにしようとしたのだ。その後、それによってたくさん苦しむことになるのだが・・・。
ミスとの付き合い方で人間は一回りも二回りも成長できるんだと思う。事実、川口は再びファンやスタッフの信用を取り戻し、大きくなって帰ってきた。成長した川口が見られるW杯がひたすら楽しみである。