コラム

追悼 - 2003.8.5

  ※本コラムは昔運営していた川口能活ファンサイト(深海)で掲載していたコラムを再掲したものです。一部内容が古い可能性がありますがご了承ください。  

今日8月5日は、川口がポーツマス移籍のきっかけとなった、Aaron Flahavan選手の命日だそうです。現在のポーツマスのアラン・ナイトGKコーチはフラーバンの友人らしく、この時期がくるのは毎年つらいそうです。ゴールの横には追悼の意を示して花が添えられるらしい。川口選手はこの日をどのような気持ちで迎えているのだろう?ちょっと複雑な心境かな。フラーバンはポーツマスで105試合に出場した名GKで、今でもサポーターの記憶の中で生きているといいます。
ONE PIECEっていう漫画の16巻(知ってるかなー?)でこんなセリフがあります。

「人はいつ死ぬと思う?・・・・人に忘れられたときさ・・・!!おれが消えてもおれの夢はかなう。まったく!!いい人生だった!!」

ONE PIECE 16巻

ONE PIECEを読んだことのない人でも16巻だけでも読んでみて欲しいんだけど、このセリフはマジ好きです。軽く説明するとこのセリフをいった人はDr.ヒルルクっていう医者なんですよね。一年中雪の降る冬島に桜を咲かせて、その感動の力で国民の病んだ心を救おう、という研究をライフワークにしている、医者としての技術は0のヤブ医者。でも、死ぬ直前にこの研究が完成するんだ。どうやって桜を咲かせるかはこれからONE PIECEを読んでくれる人のために言わないけど、ヒルルクは死んでも、この桜は永遠に咲きつづけて、その幻想的な光景に感動するたびに、国民はこの人を思い出すんだよね。

昔、友達から借りた「パイロットフィッシュ」っていう小説の中で(生涯読んだ数少ない本の中の一つ(笑))主人公が飼ってる犬(たしか・・・)の記述があった。その主人公は上京してからけっこうたつんだけど、ある日、母親との電話で、実はその犬が3ヶ月前には死んじゃってたことを聞かされるんだ。家族が気をつかって、主人公にはずっと言えなかったんだよね。主人公の心の中では、そのことを知らされる瞬間まで元気にしっぽを振ってた。実際に犬が死んでからも、主人公の心の中ではばっちり生きてて、きっとつらいときには、頭の中でその犬に話しかけて励まされたり癒されたりして。だとしたら、この犬はやっぱり死んでなかったっていえるんじゃないかな?

Dr.ヒルルクがいっていたのはそういうことなのかも知れません。きっと人は生きてる限り人に影響を与え続けるんだよね。いい影響も悪い影響も。人の人生に関与するっていうのは意識している以上に大きいことだと思う。生きている間にたった一人でも他人にいい影響を与えられたらそれは素晴らしいことだと思う。そして誰もが心のどこかでそうありたいと思っているんじゃないかな。どんなに自分のやりたいことをやって、どんなに人生を楽しんでるつもりでも、後世の人の心には何も残らない、って考えたら、やっぱり死ぬ直前に後悔すると思う。自分が死んでからも、一人あるいは多くの人に影響を与え続けることができたとしたら、他人の心になんらかの形で残ることができたとしたら、その人はまだ死んでないっていえると思う。死ぬ直前にああいい人生だった、って思えるようにしたいよね。

サッカー選手っていうのは、芸術家がその作品で人々を感動させられるように、そのプレーで観客を感動の渦に巻き込むことができる素晴らしい職業だと思う。その感動は、芸術作品なんかに比べてもはるかに単純で分かりやすい。俺もその痺れるような感動に縛られているせいで、もう2年近くもプレーを見ることのできていないたった一人のサッカー選手に応援しつづける一人です。きっと彼、Aaron Flahavanの死から2年たった今でも、フラットンパークのサポーターの心の中には彼のプレーが焼きついているはず。ファンも一緒に戦ったことのある選手も、みんなこの日がくる度に、フラーバンのプレーを思い出すんだ。冬島の桜を見るたびに、Dr.ヒルルクを思い出すように。彼の人生はホントにまったくいい人生だったと思います。

ああだめだね、こういう重いテーマは俺の文章の拙さが目立つ(笑)

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