FRIENDS – 2002.5.22

FRIENDS – 2002.5.22
  ※本コラムは昔運営していた川口能活ファンサイト(深海)で掲載していたコラムを再掲したものです。一部内容が古い可能性がありますがご了承ください。  

あるGKは中学の頃、コンクリートの上でスパイクを履いて壁に向かってボールを蹴っていた。当時は若い彼だったけど、(って今もそんな年をとってないけど)ひざは悲鳴をあげていたに違いない。本人もコンクリの上でスパイクを履くのはすべるし危ないことは分かっていた。それでも彼はその場所でひたすらボールを思いっきり蹴ってはそれを必死にキャッチしていた。

カナダ、国技はアイスホッケー。決してサッカーが盛んな国とは言えない。彼らにとって、Goal Keeperという呼び名はなく、ホッケーのキーパーと同じようにGoalieと呼ばれる。彼らにとってはサッカーなど「アイスホッケーができないときにやる遊び」でしかないのかも知れない。事実、クラブ活動も、サッカーはシーズンスポーツで、アイスホッケーのできない秋にしか行われない。

そんなカナダの中学に通う日本人の彼は、英語があまり話せなかった。学校で授業を受けて、買い物をするくらいはできたが、友達と冗談を言って笑いあったり、愚痴を言い合ったりできるほどのレベルではなかった。中1の秋、彼はたまたま掲示板にサッカー部のメンバー募集の張り紙をみつけた。なんとかチームに入ることができた彼は、小学校でやっていたとき以来、実に約1年ぶりに遊び以外でサッカーをすることができた。チームもリーグ戦を勝ち抜いて、プレーオフの決勝まで行ったものの、最後はPK戦の末敗れた。負けはしたものの、当時の彼にとっては最高に楽しく、最高に充実していた時間だった。しかし、9月に始まったリーグはホッケーのシーズンが始まる11月の始めにはもう終わってしまう。決勝進出に大きく貢献した(つもりの)彼は、このシーズンのMVPに選出された。しかし、その表彰があった打ち上げには彼は参加しなかった。

英語のしゃべれない彼だったが、なんとかみんなの力を借りて、チームの一員になることができた。試合中の指示も何もなかったし、チームの戦術について何も意見を述べることはできなかったけど、それでも試合が終わったあとはみんな声をかけてくれたし、リスニング能力の低さゆえに聞き逃してしまったチーム集合の放送などがあったときは教えてくれたりした。サッカーを通じて、友達ができたと思っていた。でも、シーズンが終わった瞬間に彼はまた独りになってしまった。

彼は学校でも孤独だった。わずかな日本人の友達以外で話し掛けてきてくれるのは大抵宿題を写させてもらいたいときや、問題が分からないとき。彼はそれでも良かった。必要とされるのは悪くない。彼はひたすら勉強をした。勉強ができれば友達も認めてくれるし、先生も優しくしてくれる。だから勉強する。彼はそんな偏った考え方の持ち主だった。
実力があればみんな必要としてくれる。彼はそんなことを思っていた。来年のシーズンを目標に自分の実力をさらにアップしよう、と。しかし、一緒にサッカーをしてくれる友達もいない彼は独りで練習するしかなかった。ゴールキックがイマイチ飛ばなかった彼は、丘に向かってボールを蹴って転がってきたボールをまた蹴るという練習を繰り返した。また、誰もいないグランドで、1つのボールを思いっきり蹴ってはそれを走って取りにいって、その場所からまた蹴るという極めて効率の悪い練習もした。自分で地面にボールをバウンドさせ、それにひたすら飛びつくという見るからに孤独なセービングの練習もひたすら繰り返していた。当然シュートを打ってくれる相手もいないので、冒頭で述べたように、ボールが跳ね返ってくるような壁のあるコンクリートの上でシュート練習をした。

次の9月がやってきた。去年の活躍で、チームメイトからは信頼を得ることができていたので、試合にはほぼフル出場。当時、キャプテン翼の海賊版が流行っていたので、「You are Wakabayashi!」と冗談を言われることもあった。しかし、彼は相変わらず自分の殻に閉じこもっていた。学校が終わればすぐに帰宅し、日本のビデオを見たり、漫画を読んだり、宿題をやったりした。友達とたわいもない話をすることもない。話しかけられても、まともに返すことができない。そんな自分が恥ずかしくて、必要以上のコミュニケーションをとることを拒んだ。その結果、チームメイトの名前さえも全員は覚えていない始末。何の成長もないまま2年目のシーズンを終えた。

彼は友達に宿題を見せてと頼まれると、断ることができなかった。ただでさえ英語ができないハンデのある自分は一生懸命やったのに、自分よりはるかに英語のできる友達が授業の前のほんの数分間で写して同じ評価を受けることに悔しさを覚えながらも、ただ嫌われるのが怖くて。必要とされなくなるのが怖くて。そして、中3の9月。彼は12月に帰国し、日本の高校を受験するつもりでいた。その受験勉強のため、3年目のシーズンはチームに入るのを断った。チームメイトからも何度も誘われていた。「断ったら彼らはもう友達でいてくれなくなるんだろうな。」サッカーもしたかったし、彼らを失うのはつらかった。でも、受験勉強をしないわけにはいかなかった。

「Why?」

と聞いてきてくれる彼らに、「受験のことなんて、どうせ話しても分かってもらえないし、うまく話せないし」とめんどくさがって、適当に「Because I don’t want to(ただ入りたくないから)」と答えていた。彼はカナダに滞在していた4年間、ずっとそうだった。会話はできる限りしないで、話をするときはできるだけ短く会話が終わるように。自分の気持ちや考えを伝えようとしなければ、決して伝わることなどないというのに。
それでもしつこく誘ってくれる彼らに、とうとう受験のことを話す決心をした。彼は相変わらず拙い、途切れ途切れの英語で一生懸命に話した。チームメイトは真剣に聞いてくれた。彼は最後に「Sorry…」と付け足した。「Sorry。」その言葉は人に嫌われることが怖かった彼の口癖になりつつあった。「You shouldn’t say sorry for that. You always say sorry!(謝ることなんてないよ。君はいつも謝ってばかりだね。)」受験のことが正確に伝わったかどうかはわからなかった。しかし、彼らはしっかりと彼の気持ちを汲み取り、実際その後チームに誘われることはなかった。「いつも謝ってばかりだね」そう言われたこと。これは紛れもなく、ただのGKとしての彼への言葉ではなく紛れもなく一人の友達への言葉だった。

帰国のせまったある社会の時間、先生のMr. Achtemichukから彼が日本に帰国することがクラスに伝えられた。彼は学校では決して自分から口を開こうとはしなかったため、周りの友達は誰一人として彼の帰国のことは知らなかった。Mr. Achtemichukの計らいで、授業の最後の10分間をみんなと話す時間として与えてくれた。みんなが彼の周りに集まってきてくれた。「突然でびっくりしたよ」「なんていったらいいか・・・」彼はクラスのみんなが即席で作ってくれたメールアドレスのリストをもらった。もし、宿題を見せてもらうだけの存在だとしたら、学校からいなくなる彼の存在意義はなくなる。しかし、メールアドレスや住所を教えてくれるということは、これからも交流を絶やさないようにしよう、という友達としての行動に他ならない。

彼は後悔していた。片言の英語でしゃべることを小さなプライドゆえに頑なに拒んだ4年間を。その結果、かけがえのない友達を得る機会を自ら絶っていたことを。言葉で大切なのは文法ではなく、伝えようとする気持ち。その気持ちが友達を作っていくのだ。彼がもし受験のことを話そうと決意しなければ、チームメイトは結局ただの「同僚」にすぎなかった。チームメイト同士が友達ならば、チームはきっと強くなる。お互いのことを良く理解し合った仲間と一緒なら、サッカーは何倍も楽しくなる。そのチャンスを逃してしまったことを彼は一番後悔しているのかも知れない。今の彼はサッカーの楽しさを知ってしまったから。