コラム

competition - 2003.11.3

※本コラムは昔運営していた川口能活ファンサイト(深海)で掲載していたコラムを再掲したものです。一部内容が古い可能性がありますがご了承ください。  

競争はチームに欠かせない。競争のない環境では、 いくら自分に厳しくしようと思っても、どんなに自分を追い込むのが得意な選手でも、 やはりどこかで甘えのようなものが生じてしまう。実力の拮抗した同業者と共に練習することで、 毎日緊張感のある練習をすることができ、お互い切磋琢磨して成長することができる、 というのはまぁ100万回くらいどこかで聞いたような話である。 川口は高校時代に大きな成長をとげたが、その要因の一つに、川口の1つ先輩、 安藤智安というGKの存在があった。きっとあまり知られていない名前だと思うが、 実力は川口とあまり変わらないレベルだったという。 さすが清商。あんな実力のGKが2人もいたらたまったもんじゃないが、清商の、 そして川口の輝かしい成績は、同じくらい実力のあるライバルがいて、競争があったから、 というのが大きかったかも知れない。

しかし、GKというポジションにおいては必ずしもその競争がパフォーマンス にいい影響を与えるとは限らない。むしろそのやり方次第ではマイナスに働くこともしばしばあるのだ。 走りつづけることができるフィールドプレーヤーと違い、 GKとは、まったく動きのない状態から、瞬間的に動く、ということが多い。 ボールの動き、相手選手の動き、味方の動きから、自分のすべきプレーを瞬時に決定し、 すぐに実行にうつさなければならない。その判断が一瞬でも遅れれば命取りになる。 GKとは、そういうポジションである。そのためには高い集中力が必要であることはいうまでもない。 そして、その戦いは試合前から始まっている。GKは今までの経験から得た、 その状況ごとのベストなプレーを引き出しにしまってある。普段は閉じているその引き出しを、 できる限り開けておく作業をするのが試合前である。試合前に十分な準備ができないと、 どんなに体がキレていたとしても、シュートは止められない。 ギリギリのところでシュートに触れるか触れないかの差は、ジャンプ力、 疲労度といった肉体的要因よりも、 引き出しの中からいかに素早く情報を引き出せるかの差によるものが大きいといえるかもしれない。 前と同じような形で失点すると、なんで引き出しを開けておかなかったのだ、 と後悔することもよくあるのはないだろうか。

モグラたたきの原理。ゲーセンでモグラたたきを (あんましねーな。ワニワニパニック!?ち、ちょっと時代が古いかな。。) しているときに、周りの目を気にしてる余裕なんてない。出てくるモグラのみに集中して、 出てきた瞬間にモグラを叩き潰す必要があるのと同様に、試合中に他人の目を気にしてる余裕なんてあるはずがない。しかし、競争の中に身を置いているGKにとって、監督の目、コーチの目、チームメイトの目を全く気にしないでいるのは難しい。たとえ小さなミスでもしようものなら、彼らのため息が聞こえてくるような気がするし、失点しようものなら、たとえそれが自分のミスでないとしても、全員の刺すような視線を全身に感じる。たとえそれが強靭な精神力を持つプロのサッカー選手といえども、周りの目を気にしないことは難しいだろう。いや、むしろ生活のかかった彼らにとって、その重圧はその何倍も重いに違いないのだ。 FCノアシェランのAndersen監督は、「選手を1,2試合で判断することはしない。必ず5,6試合は見てから選手の見極める」という。正GKであったヤン・ホフマンに代えて、10月5日のHerfolge戦に川口を起用した際にも、「5試合はYoshiを使う」と公言していたが、この発言から監督がGKのことを理解してくれている、と感じた。競争の中にいることに変わりはないが、5試合というチャンスを与えられていることで、1試合にかかる精神的プレッシャーは大幅に少なくなる。余裕が生まれることによって、なんとか周りの雑念を振り切り、本来のパフォーマンスに近いものを発揮することができるのだ。川口がデビュー戦からその実力をMVPというおまけつきで発揮することができたのは、そういった精神的な部分は大きかったに違いない。

川口は本当にいいチームに移籍した、と確信した。あとはなんとしても、降格からチームを救わなければ…

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